2006年08月12日
●BSE問題
世間が騒がしいので思ったことを書き留めてみるテスト。
なんだか「食べる」「食べない」と騒いでいるけど、基本的には好きにすればいいよね。
タバコみたいに近くに居る他人にまで迷惑がかかるものでもないから、リスクを承知の上、食いたければ食う、そのリスクを感受できないなら食わない、って感じだろうね。
誰かが言っていたけどたしかに「交通事故で死ぬ確立より低い」かもしれないね。
で、私の場合は今回のアメリカの対応がムカツクので、不買運動開始といった感じかな。
科学的根拠は隠しておいて、政治的解決だけで輸入再開を決めた小泉とその担当者。“もし日本で狂牛病患者が出たら腹切って死ぬ”とでも言ってくれるなら、その気持ちに免じて食ってやらんでもないが…嘘
その交通事故にたとえるなら、「私は赤信号で渡るより青になるのを待とう」と思う。
知ってのとおり、日本の食の安全はマスコミがヒステリックに騒いでいるだけで、産地表示も義務化されていないものが多いのが事実。しかも、同じ包丁使っただけで致死量(感染に十分な量)の異常プリオンが付着するなんて聞いてしまったら、もう「避け様がない」というのも事実。
なので、消費者が出来ることは、左右確認して横断歩道を渡る、赤信号は渡らない、などなど、既知の危険にはあえて触れない程度のことしか出来ないだろうしね。
それでも、赤信号で渡る人や横断歩道じゃないところを渡る人のことを止めることは出来ないからね。もしかしたら生命保険のリスク細分化で、タバコ並に“吉牛で牛丼食うか?”っていう項目が出来るかもしれないね。
あ、そうそう、コレもどこの誰か覚えてないけど、「タバコ吸ったりする人が米国産牛ごときでグダグダ言うのはおかしい」だそうだ。同僚の喫煙者も同様なことを言っていた。常々思うんだけど、喫煙者って自傷行為してしまう精神疾患患者ですね。かわいそう。
しかし、20~30年後にBSEの患者が爆発的に発生しても小泉や担当者は責任取らないんだろうな。政治家って楽な職業だね。www ま、政治家批判はどうでもいいや。
ともかく、吉牛、すかいらーく、ジョナサン、牛角(ここは元から行かないがw)、焼肉屋さかい、などなど。
凶牛肉を使用すると明言しているところで牛肉を注文するってことは、赤信号を無視して横断するに等しいから、それくらいは避けようかな。
だれか、安全な外食屋リストがあったら教えてください。m(_ _)m
2006年06月14日
●コミュニケーション考
なるほど。そうかもしれない。
個人でSNSを立てたいと思った事が無かったので、So-netがSNSに参入した理由が良くわからなかったんだよね。
でもさ、個人でフォーラムの管理人をやりたがったり、草の根BBSを立ち上げたい人なんてそう沢山いるわけじゃないだろう。
そりゃぁ当時は電話回線数本とか、サーバーやら、モデムやら、色々なコストがかかるから、開設したいと思ってもなかなか実行に移すのは難しかった。それでも利用者の寄付によって運用を始めた学生さんもいたなぁ。アイツ元気かなぁ?
そういうものを身近に見ていたからか、そのくらいのこと(SNS作りたい)を思いつく人なら、昔よりも全然お金もかからないし、多少勉強してOpenPNEをインスコすることにも、大した障壁じゃないんじゃないだろうか?って勝手に思っているんだが間違いかな?
まぁHTMLもかけずに、こんな出来そこないなインターフェースのBlogなら使える、って言う人が多いみたいから、間違いかもね。
(俺的には今のBlogなんて、とてもじゃないがリリースするに及ばない腐れプログラムにしか見えない)
私も1992年から草の根BBSでパソコン通信を楽しんでいて、後にNiftyのアカウントも取ったけど、別にフォーラムに参加するでもなく、フリーウェアをDLして楽しむ程度だった。
そして、96年のWin95ショックとも言える、いわゆるインターネットの登場!
翌97年にホームページを作って掲示板でコミュニケーションを楽しんだなぁ。
そこで知り合って、実際にツーリングに行ったりスキーに行ったり。
そんな当時からコミュニケーションに楽しさを見出すことが出来た彼、彼女らとは今も繋がっている。。。
やっぱり、電話から始まって、インターネットとか、Web、チャット、メッセンジャー、掲示板、Blog、SNSって言っても、所詮ただのネットワークを通じたコミュニケーションのツールですよ。
声だけじゃなくて、文字や画像や映像などと形が色々変わるからそれだけでも面白いし、そういう面白さをわからない人はきっと繋がれない。けど判らなくても誰にでも使える。
いや、ホント。コミュニケーションって面白いよ。
#この記事書いた「吉川 日出行」って方。まっとうな記事ばかり書いてるけど、変に偏った記事ばかりの中では光ってる気がする。
2006年06月06日
●コデラ後
また日経だよ
日経新聞て感じ悪いよね。何だか名前だけって感じ。
知人がNY滞在中に日経のNY支社かナニかで働いた時期があったけど、みんな新人イジメに精を出し、仕事はNYタイムスとかのWebを見て記事書くだけとかいうんだもん。なんじゃそりゃーっ!って感じ。
ま、実はそんなのはどうでも良いんですwww
実はこの記事書いてる小寺さんのファンなんですよ。
ITmediaやImpressなどを普段から良く見ているんだけど、「コラムの記事」って人によってそれほど個性があるとは思っていなかった。
物欲炸裂の「スタパなんちゃら」とかはむちゃくちゃな文章を書くけど、そういうのはただの役を演じてるだけで書いてる内容は、他の人と同じでスポンサーからの金額に応じてしか変わらない様に感じていたものなんですよ。
それが、小寺さんは違うんだよね。
なんというか、切り口がオタク。マニア。もちろん良い意味で。
それも、悪い意味でのそれらとは違って、視野が広い。人間が深いと見た。
生業としてだけ記事を書いている魂が無いほかのジャーナリストとは一線を画する。
中でも感動しただけでなく、「この人、自分と同じベクトルだ・・・(;゚д゚)」と思ったのがこの記事。
被災者を支える、地元ケーブルテレビの死闘 (前編) (後編)
もちろん自分には被災地で役立つ力もないし、第一その当時は病気療養中で一番必要な体力が無い。
それでも当時、病気で一日起きているのもしんどいながらも、バイクにまたがり寝袋を背負って、被災地で救済活動に参加したい衝動に駆られていた。
毎日、避難所の模様などが報道される度に自分の無力さを痛感して、頭をハンマーで殴られている気がした。
もちろんこの記事はそのずっと後で知ったことだけど、初めて読んだときに同じようなショックを受け、そして感動した。
それからかな。こういうジャーナリストの人にも個性があるんだって気づいたのは。
そのショックを受けた後は、ITmediaの記事の中にたまに「何だか視点が違うぞ?」って感じる記事が有ると、必ず小寺さんの記事だった。
自分にとっては「コデラ後」ということだろうか。